Thursday 2 July 2015

『映画』タワーリング・インフェルノ(The Towering Inferno) 新宿ミラノ座にて


20141224
「タワーリング・インフェルノ」———さよなら、新宿ミラノ座 ***映画レビューではありません)
公開年:1974
製作国:アメリカ
監督:ジョン・ギラーミン
出演:スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン
見た場所:新宿ミラノ座


 2014年大晦日に新宿ミラノ座が閉まると聞き、たまたま東京に行ったので、最終興行を見に行った。過去58年間の上映作品の中から歴代のヒット作を再上映していたのだが、この日は1975年日本公開のパニック映画の傑作、「タワーリング・インフェルノ」だった。
 
 新宿ミラノ座は、歌舞伎町の複合娯楽施設TOKYU MILANOの代表的映画館だった。新宿ミラノ座が閉まるということは、日本で最後の客席数1000席を超える映画館が閉まるということであり、そのため閉館の話題はテレビ等でもニュースになった。閉館の理由は、ビルの老朽化とシネコンに押されて客足が遠のいたことだという。私が東京にいた頃は、このミラノ座よりもむしろ、同じTOKYU MILANO内のミニシアター、シネマスクエアとうきゅうにお世話になった。この閉館でシネマスクエアとうきゅうも閉まるため、ミラノ座最終興行では、シネマスクエアとうきゅうのかつてのヒット作も番組に組まれていた。

 近年、日本では古い映画館がどんどん閉まって行く。私は新宿ミラノ座の固定ファンではなかったので、昨今の映画館の閉鎖では、このミラノ座よりもむしろ吉祥寺バウスシアターの閉館の方が、私にはショックだった。でも、ミラノ座が閉館されることはやはり寂しかった。TOKYU MILANOのビルとミラノ座は、私にとっては歌舞伎町を代表する顔だった。あの巨大なボウリング・ピンのついた建物は、一大歓楽街、歌舞伎町の表玄関を表すようだった。かつて春の夜に、うっかり間違って早慶戦の日にこの辺りに来てしまうと、へべれけに酔いしれた学生達が調子に乗って、わさわさ騒いでいたものだ。今もあんな景気のいいことが行われているのだろうか。
 
 昔は映画館なんて、チケットを買ったら、一日中居座ることも可能だった。各回入替制ではなかったのだ。座席指定もなかった。人気作品の時には立ち見も出たし、食べ物も外から持ち込んだものだった(それでも映画館が利益を出すことができたのである)。そんな郷愁に若干浸りつつ、「新宿ミラノ座より愛をこめて〜Last Show〜」と題された興行を見に行ったのだった。
 
 1000席の客席の眺めは壮観だった。もちろん自由席だったが、これだけ広いとどこに座ったらいいのかもはやわからなくなる。私が見に行ったのは、クリスマス・イヴとはいえ平日夜7時の回だったが、それでも 多くのお客さんが入っていた。私のように閉館を聞きつけてやって来たと思われる、会社帰りのサラリーマンのお兄さん・おじさんも結構いた。この開始時刻だと、職場からまっすぐ映画館に来て、上映前に夕食を取る時間もなかったことと思う。ペットボトルのお茶を携え、チョコレートなどでとりあえず小腹を満たしている彼らの姿が泣かせた。そんなお兄さん・おじさん達の思いに応えるべく(もちろん女性の観客もたくさんいた)、スクリーンでは、「タワーリング・インフェルノ」、スティーブ・マックイーンとポール・ニューマン、二人のタフ・ガイが高層ビル火災と戦う映画が上映されたのだった。
 
 上映前に支配人による挨拶があったが、「タワーリング・インフェルノ」は新宿ミラノ座で歴代二位の観客動員数だったそうだ。その数32万人(ちなみに一位はスティーブン・スピルバーグの「E.T.」である)。映画雑誌にミラノ座上映作品リストが出ていたので確認したら、1975年の公開当時、6月の終わりから11月の半ばまで上映が行われていた。1000席の映画館で約5ヶ月間、一本の映画を上映していたわけである。映画はこれからも作られていくだろうし、新しい大ヒット作も生まれていくだろうが、もうこういう時代が戻って来ることはないだろうな、と何となく思った。
 
 それは、よく言われることであるが、映画が娯楽の中心だった時代である。さらに言うなら、映画が世界を知る(例えば、洋画で海外のことを知る)重要な窓口だった時代である。そしてさらに、たぶん、映画で孤独を知ることのできた時代である。
 
 映画館に一人で映画を見に行くと、暗い中に他の知らないお客さん達と座って、一緒に泣き笑いすることになる。見ている間は、暗闇が逆に居心地のいいものだ。そこでは人目を気にする必要はないが、かと言って一人ぼっちでもないからだ。映画に集中していると、憂鬱なことも忘れていられる。しかし、いったん映画が終わってしまうと、埃っぽい密閉された空間に自分一人。後は、見も知らない他人が素知らぬ顔をして、三々五々に立ち去って行く。
 
 例えば、前述した吉祥寺バウスシアターで、一人で変なチェコ映画など見てしまったとする。しかもそれが冬で、劇場を出たら北風が吹きつける夜になっていたりするともう大変である。「今日一日、自分は一体何をやっていたのか?」と、自分の人生が虚しくなって、死にたいように感じられる(もちろんこれは、そのチェコ映画自体が悪いわけでは決してない。)
 
 かりそめに他人と一緒にいたことで、実は最初から自分は一人であったという事実がいや増すような、そんな暗い気分を堪能することが、シネコンではなかなか難しいと思う。なぜなら今は、映画館の暗闇を出てロビーを抜ければ外、そこには北風がピープー吹く、または真夏の夕日が照りつける街が、というわけではないから。シネコンでは劇場を出ると、たいていショッピング・センターの中に出てしまう。映画館を去っても、またもう一つの非現実的な場所、しかも訪れる人を努めて明るく楽しい気持ちにしようとしてくれる場所に出るのだ。嫌な気持ちになる映画を見たとしても、それは忘れて、ドーナツでも食べるか何か、楽しいことをして帰ろうかしら、などと思ってしまう。
 
 映画が娯楽の王様であることはもうないだろうし、その一方で、映画館に行くことの暗さを味わうことも難しくなってしまった。「タワーリング・インフェルノ」が終わった後、心の中で「いい映画だったなー」と思いつつ、夜の街を黙々と歩いて帰った。12月末の東京は寒かった。ネオンと客引きに彩られていても、一人で歩いている自分には、歌舞伎町はにぎやかに感じられなかった。2015222日)

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